第21期高野山真言宗 神奈川青年教師会  


by 18ksk

神通力と。

本日の更新は、若手の僧侶の法話、で御座います。
伝える事の難しさ、を日々痛感しながら努力を続けております・・・・
では、お読みくださいませ。

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みなさんこんにちは。

今回は、そんなお盆・御施餓鬼のお話…は、以前に木川師がなさっていますので、その御施餓鬼のお話に出てくる仏様のお力、そして御施餓鬼の要である布施行のお話をしたいと思います。

御施餓鬼のお話自体については木川師の投稿(http://ksk18.exblog.jp/16372078/)を見て頂くとして、そこで目連さんがお母様を探すのに使ったお力、つまり神通力は人々を救う為に仏様に備わっている六つの力の一つでした。
以下に極々簡単に六つの神通力を紹介します。

天眼通-遠くのもの、小さなもの、普通は見えないものを見る力

天耳通-遠くの音、小さな音、全ての音や声を聞き分ける力

神足通-思い通りに空を飛ぶ力、望んだ場所へ移動する力

他心通-他の人の心を知る力

宿命通-自分や他人の過去世を知る力

漏尽通-自らが悟りを開いたことを知る力

と、言われております。
この力のうち、目連さんは天眼通を用いてお母様を探し出しました。
さて、こうして六つの力を改めて見直してみますと、我々人類は、限定的かつリスクはあるもののその力のうちのいくつかを科学技術によって利用出来るようにも思えます。
例えば一人に一台が当たり前となった携帯電話には、通話機能は勿論の事、写真の添付機能・テレビ電話までついています。
テレビをつければ、神奈川県に居ながら兵庫県の甲子園球場で行われている高校生達の試合をリアルタイムに見る事ができます。
移動に関しても劇的に利便性が向上しました。今や海外旅行は当たり前、江戸時代には江戸から一ヶ月以上かけて往復した高野山・熊野三山・伊勢神宮へのお参りも今では2・3日で全てお参りして帰ってこれてしまいます。
これらは先に述べました天眼通・天耳通・神足通に通じるものがあります。
技術の発展により、我々の生活はとてつもなく便利になり豊かになりました。
しかし、心の平安というと話は一転します。
仏の持つ力の半分を持ちながら、心は全く仏に近づけていないどころか、遠く離れていってしまっている事が多いようです。

では、力を手に入れても近づけないならば、どうしたらよいのでしょうか。
「一切衆生悉有仏性」という言葉があるように、全ての衆生には元来仏となる性質があると言われております。
その眠っている仏性を磨く事によって人は仏となることができます。
磨き方にはさまざまな方法がありますが、今回は冒頭でも述べたとおり、その中でも六波羅蜜という六つの行いの中の一つ、布施行についてご紹介いたします。

目連尊者は母の代わりに布施を行い、その徳によって母を餓鬼道から救いました。では、布施とは何なのでしょう。
「布施」という言葉自体は多くの人がご存知だと思いますが、解釈が難しく、正確に知っている方はあまり多くないのではないかと思います。
布施とは「誰かに何かをあげる」だけでは成立せず、ましてや葬儀・法事などをしてくれた御礼としてにお寺に渡すもの、いわば「報酬」ではありません。
布施行が成立する為には「三輪清浄」と申しまして、施主の心・受主の心・施物(布施される物)の三つが清浄でなければならないと言われています。
施主は見返りの気持ち、布施「してやる」という気持ちや、自分を良く見せようとする気持ちを持ってはなりません。
受主は布施されることによって義理を感じたり卑屈になってはなりません。
つまり、お互いに損得勘定を離れないと成立いたしません。
先に述べました、「お寺に渡す報酬」という考えが成立しないのはこれ故です。僧侶は布施が欲しくて法要・供養をする訳ではありません。
法要・供養のお礼として「お布施を渡す」というのはおかしな話なのです。

しかし、損得勘定が中心である資本主義社会において、「損か得か」を離れる事は容易なことではありません。知らず知らずの内に多かれ少なかれ誰の心にも損か得かという考えは根付いてしまっているようです。
布施の話をする際に良くあげられる例に「赤ちゃんの笑顔」があります。
生まれたばかりの赤ちゃんは力も弱く、何も持っていないので布施する事ができない、布施するものが何もない。
そこで赤ちゃんは「笑顔」を布施する為に、笑顔をもって生まれてくる…と言われる事があります。
「にこにこしておけば可愛がって貰える」と考えて愛想をふりまく赤ちゃんも、赤ちゃんの笑顔を見て義理を感じる人も居ないでしょう。
赤ちゃんの笑顔こそ、まさに三輪清浄を見事に体現しているのではないでしょうか。

話が難しくなってまいりましたが、私が聞いた布施に関する言葉の中で、最もすんなりと受け止める事ができた言葉で結びとしたいと思います。

「布施とはあげっぱなし、もらいっぱなしにするものだ」

あまり難しい事は考えず、「あげっぱなし・もらいっぱなし」を肝に銘じて布施を実践していくのも、真の布施行への近道の一つかもしれません。      合掌。

永光・筆 
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by 18ksk | 2011-11-14 09:25 | お話・法話