第21期高野山真言宗 神奈川青年教師会  


by 18ksk

親。

私共、神奈川青年教師会は修行を終えたばかりの僧侶が多数おり、
実践、研鑽の場としての機能があるのです。
そこで今回「法話」を若手の僧侶に書いてもらい、掲載することとなりました。

本日のお話は木川曉雄師でございます。



親心について

本日の法話は、私が普段から感じた親心についてお話したいと思います。

私は、今から4年前に高野山専修学院にて1年間の修行に励みました。

先生方からは、常に「人の為に何かをしなさい」と言われ続け、考えさせられる日々でした。
僧堂生活は、一日一日がとても濃厚であっと言う間に卒業式の日を迎え、沢山の祝辞を頂
きました。その中の祝辞でとても心に響く言葉がありました。

それは・・・
 「皆さん、卒業おめでとうございます。ここでの一年は本当に様々な事があり、大変だっ
たでしょう。しかし今日、専修学院を卒業したからと言って修行から解放されたわけではありません。
明日からがまた新たな修行の始まりです、それは人の為、社会の為に、貢献出来るような僧侶になる為の修行です。何か一つでも良いから、社会に役立つ事を探して実践してください」と言う言葉でした。

そのお言葉によって以前から気になっている事を思い出しました。それは。。。

 私のお寺(東光寺)は、久保山と言う所にあります。門前は信号のある狭い交差点になっております。
そこより少し先に太田小学校があり、門前を小学生が毎朝通学しています。
その交差点は、交通量が多く、危ない走り方をする自動車やトラックも見かけます。

一方、小学生達は、友人との話に熱中して周りを見ていない子、ぼっーとしている子、
道路側にはみ出して歩いている子など見て、ハラハラしてしまいます。

 そういう事がずっと気になっておりましたので、専修学院を卒業したその年の4月から門前の通学路に立って小学生を見守ろうと決意しました。
小学生を危ない車から守ると言う事が一つの社会貢献に繋がる修行ではないかと思ったからです。
 
早速、四月から通学路に私が立って「おはよう。気をつけて行ってらっしゃい」と小学生達に声をかけますと、最初は見慣れない坊主頭の人が立っているので、戸惑っている子や、
はずかしそうにちょっとうつむいて通る子、びっくりしながらも挨拶してくる子など、
反応は様々でしたが、1か月、2か月と続けて見送っておりますと
小学生達も正面のお寺のお坊さんと言う事が分かり、朝だけでなく近所で出会った時も元気に挨拶をしてくれるようになりました。

 今年で、見守り続けて4年目になりますが、この3年間で小学生達はずいぶん成長をしました。
ある子は、3年前はピカピカの1年生で他の子と比べるとても小さく心配したものですが、
今ではずい分背が伸び、その子が中学生になったら私は見おろされてしまうとのではないかと思われます。
また、ある子は信号待ちをする時はいつも道路に飛び出していたのですが今では、低学年の面倒をみる事が出来る良い上級生になっております。

一人一人の成長していく姿を見ますと自然と嬉しい気持ちになります。
自分はまだ結婚もしておりませんし、子供もおりませんのに、親心を語るのは
恥ずかしいと思いますが、これが一つの親心なのではないでしょうか。


親心にまつわる話で、こんな説話がございます。

 大昔のインド、お釈迦様の時代の話です。お釈迦様の弟子に目連尊者と言う方がいらっ しゃいました。
彼は神通力があり、ある時、その力を使って亡き母が天界でどうお過ごしかと思い、
早速、天界を見ますと母の姿はなく、もしやと地獄を覗いてみて見ますと、そこに痩せ衰えた母の姿を見つけたのです。

急いで、食べ物や水を持って行ってきますが、それらがすべて火となってしまって食べる事が出来ません。困った目連尊者は、お釈迦様の所に行きこの話をしますと、

お釈迦様はこう言いました。
「目連の母親が地獄堕ちて苦しんでいるのは生前、目連の事を第一に考え
目連にとっては素晴らしい母親だったと思う。しかし、目連以外の他の人には興味がなく、施しをせず、冷たくあしらっていたそうではないか。だから地獄に堕ちてしまったのだ。救う方法は沢山の供物をお供えして大勢のお坊さんに御供養してもらうことだ」と言われました。
目連尊者は、言われた通り支度をし御供養して頂くと母親は地獄から救われました。

・・・というお話です。

 このお話にありますように、自分の子を可愛がるあまりに他人を大事にせず、自分勝手なことをし続けますと、いずれそのつけが自分に返って来る事を物語っている良い教訓だと思いました。


 最後に、皆様も御存知のことと思いますが・・・・・
私が小学生の時、先生が「親」と言う字の簡単な覚え方を教えて下さった事がございました。

「親と言う字の書き順はね、まず最初に立つを書いてその下に木を書くんだ。それから右 側に見るという字を書くんだよ。親は子供を送る時に玄関先でバイバイではなくて、木の上に登って、木の上に立ちそして子供の姿見えなくなるまで見送るのだよ。この親と言う字は親心がこもっているね」
と、言われました。

その先生の言葉が印象的で時々思いだします。
私も将来、結婚して子供が生まれましたら、
木の上に立って最後まで見守れる親になりたいと思っています。
 
                    著者: 曉雄 
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by 18ksk | 2011-05-24 11:57 | 今日の一言